大人にとっては遊びのつもりでも、子どもにとっては遊びではない

大人にとっては遊びのつもりでも、子どもにとっては遊びではない

水族館で見かけた、大人にとっては遊びのつもりでも、子どもにとっては遊びではない「一方的な遊び」の事例。

水族館のセイウチの展示エリア。

子どもをセイウチがいる水槽に、落そうとするマネをする父親。もちろん本気で落とすことはしない。

子どもは本気で抵抗して嫌がる。

何度も繰り返したので、子どもは本気で泣き出してしまった。

子どもが泣き出してしまったので、父親はそれをやめる。

落そうとするマネをする大人には「冗談」「いたずら」「からかい」「ふざける」などの遊びのつもりであろう。

子どもにとっては生きるか死ぬかの「恐怖」であろう。遊びではない。

私から見た大人→遊んでいるように見えた。悪ふざけ。

私から見た子ども→遊びではないように見えた。表情と声が本気で怖がっていた。

但し、本人達にそれが遊びであったかを、聞いていないので、私の視点から見た「であろう」にすぎない。

心の中を他者は覗くことが出来ない。

客観的に見るだけでは、相手が心から遊んでいるかどうかは確認出来ない。

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